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今日も他人事

今日も他人事

艦これSS「刹那の平穏」



提督は桟橋に腰を下ろして海面の水飛沫を眺めていた。
目の前では軽巡洋艦と駆逐艦で構成された水雷戦隊が戦艦級の艦娘と演習を繰り広げている。

「提督は調練を眺めるのが本当にお好きなのだな」

提督の姿を見つけた長門が側に来て言う。
長門は艦娘の調練を統括する担当についていた。

「すまない、邪魔をしているだろうか?」
「そんなことはない。提督が視察に来ていると知れば、皆も気合が入る」
「なら、いいんだが」

喋りながらも、提督と長門の視線は調練の様子に向かっていた。
水上では神通の指揮する水雷戦隊に日向が砲撃を加えている。
演習の為、実弾は使用していないがそれでも戦艦の砲撃は激しい衝撃を起こす。
日向の猛烈な砲撃にしかし、臆することなく神通は水上を駆け抜けていく。

「流石は神通だな。日向の砲撃にも殆ど動じていない。指揮下の駆逐艦も一糸の乱れも見せていない」
「長門がそう褒めるか」
「果敢な戦をする。単に暴れ回るのではなく、どうすれば戦果を挙げられるかきっちりと見定めた上でな」

長門が腕を組み、頷きながら言う。
神通は鎮守府でも古参の艦娘の一人だが、長らく第一線を離れて護衛艦隊に所属していた。
主な任務は兵站の護衛だった。
以前の戦いでは砲撃戦が主体であり、火力に優れた戦艦や重巡洋艦を最優先として運用していたからだ。
しかし、戦線が広がるにつれて戦いは多様化し、火力や装甲よりも汎用性や機動力に優れた艦娘が必要になった。
当時、主力となる突撃艦隊には二隻の軽巡洋艦が配備されていたが、一方の夕張は武装に重点を置いた火力特化型であり、もう一方の北上も雷撃戦に特化しており、そもそもの役割が異なっていた。
駆逐艦に匹敵する機動力と潜水艦に対して有効な打撃を与えられる対潜能力、そして砲雷撃戦でも戦力になれるだけの火力を備えた高性能な軽巡洋艦が一隻は欲しい。
その思いを抱いていた提督に神通の名を伝えて来たのは護衛艦隊を統率する龍田だった。
神通を護衛艦隊に置いておくのは宝の持ち腐れよ、と言う龍田の言葉を受けて、提督は神通を何度か実戦に投入し試した。
長門や扶桑とも相談した上で、二次改造を施し、全体的な性能向上も図った。
今や突撃艦隊の一翼を担う存在に神通はなっていた。

「おや、今日は弁当を持参したのか?」

提督の横に置かれている弁当箱に長門が関心を示した。

「俺は出来ないよ、料理なんて」
「ほう、なら作ったのは扶桑ということか」
「まぁ、な」
「愛されているな、提督は」
「言うなよ、恥ずかしくなる」

苦笑いを浮かべる提督に、長門はふっと笑みを浮かべた。

「しかし、知らなかったな。扶桑が料理を作れたとは」
「いや、まだ始めたばかりなんだそうだ。慣れないながらに頑張ってくれてるよ」
「ほう」

長門が興味深そうな顔をした。
艦娘は戦う為に生み出された存在である。
軍務に関わる知識以外の教育を受けることはほとんどない。
中には趣味で料理を研究している艦娘もいるというが、どちらかと言えば珍しい部類に入る。

「そうか、扶桑が料理か」
「ああ」
「良い妻になれそうか、扶桑は?」
「俺には過ぎた嫁だな」

長門は声を上げて笑った。

「さて、そろそろ、日向と交替するか。提督はどうする?」
「俺はもうしばらくここから観戦させてもらうよ」

長門が頷き、海面を駆け去っていく。
提督は弁当を平らげ、更に一時間程、調練の様子を眺めてから見回りに戻った。
一日一回、提督は鎮守府の中を全て回る。
艦娘の調練は勿論、工房やドッグも見回った。
指揮官がいつも姿を見せていることは大事だと思えたからだ。
それから執務室に戻り、残っている仕事に着手した。

提督は常時偵察隊を出し続けていた。
その報告が上がってきている。
今の所、南方海域の敵艦隊に動きはないように思える。
しかし、本当に敵は動いていないのか。
深海棲艦の動きは影のように掴みどころがない。
気が付けば敵の大艦隊がすぐ側に出没する可能性もないとはいいきれないのだ。

「提督、偵察隊の人員を増やした方が良いのではないでしょうか」

報告内容を確認した後、参謀がそう言った。

「理由は?」
「我々の艦隊はサブ島海域の敵泊地に繰り返し夜襲を仕掛け、敵補給艦の撃沈に成功しています。
 敵も南方海域の我が軍に対して反撃を試みる筈です。
 敵の動きを察知し、敵奇襲に対応できるように偵察隊を増強すべきだと思われます」
「確かに敵の反撃は何時、来てもおかしくない状況になっている。
 偵察隊の増強はすぐに実施しよう。
 偵察隊が孤立しないよう連絡を取り合える距離で動くことを徹底してくれ」
「分かりました」

今出来ることは警戒を強めることと艦隊の練度を高めることだけだった。
参謀が去ってからは卓上に積んである書類に目を通した。
鎮守府に配備されている艦娘達の最新状況はきちんと把握しておきたかった。

「提督、根を詰め過ぎては体に毒ですよ?そろそろ晩御飯にしませんか?」

秘書艦である扶桑の言葉に顔を上げる。
時計を見ると既に21時を回っていた。

「そうだな、そろそろ休もうか」
「お料理の支度、始めますね」

扶桑が執務室を出ていく。
独身の頃は食堂で夕食を取っていた。
結婚してからは、扶桑が作ってくれる手料理を食べることにしている。
まだ作り慣れていないにも関わらず、扶桑が料理を欠かすことはなかった。
それがまた提督には愛おしく感じられた。

「すまんな、扶桑。お前には秘書艦としての仕事もあるのに」
「何を言われます。提督のお食事を作るのは今の私にとっても喜びなのですから。
 そんなことは仰らないでください」
「そうか。こうして食事をしていると実家で暮らしていた頃を思い出すよ。
 海軍に入ってからはそういう料理とは殆ど無縁だったからなあ」

提督が言うと、扶桑はおかしそうに手で口元を抑えながら、笑った。
その指先には提督が送った結婚指輪が嵌められている。

扶桑に告白してから既に一週間が過ぎていた。
あの夜、扶桑に告白するまでの緊張はそれまでの人生で感じたことのないものだった。
秘書艦としての勤務を終えて自室に戻ろうとしていた所を呼び止められ、不思議そうな表情を浮かべている扶桑になんとか自分の気持ちを伝えた。
提督の言葉に扶桑は初め驚きの表情を浮かべ、それから悪戯っぽく微笑んだ。

『提督、私の主砲凄いでしょ?でも、火力に特化し過ぎて不便なことも一杯』

はぐらかすように言いながら、扶桑は差し出された指輪を静かに受け取ると、自らの指にすっと嵌めた。

『提督なら、きっと判ってくれますよね?』

扶桑の言葉に提督はああ、と応えた。それから、約束すると頷き返した。

あの時、扶桑に言われた言葉を提督は今でもよく思い返す。
足りない所のある自分を支えて欲しいと言っているようにも、自分の悩みや気持ちを分かって欲しいと言っているようにも聞こえた。
確かに扶桑には足りないものがあった。
しかし、自分にも足りないものがいくらでもある。
扶桑が足りないところを自分が。
自分に足りていない所を扶桑が。
そうやって足りない者同士が支え合っていければと思う。
大切なことは互いに心から通じ合えるかどうかだろう。
そして、扶桑とは通じるものが間違いなくあると思っている。

「提督、お酒はお飲みになられますか?」
「少し貰おうかな」

扶桑が酌をする。提督はそれを飲み干し、息を一つ吐いた。

「こうして二人で穏やかに食事ができる。俺達は幸せに暮らしていると思う」
「はい」
「しかし、この平穏は長くは続かないと俺は思っている」
「戦ですね」
「そうだ。まだ確証はないが、南方の深海棲艦が大きく動こうとしている気がする。次の戦いは厳しいものになるだろう」
「覚悟はしています。提督は艦隊の強化に注力してくださいました。あとは私達が力を尽くす番です」

扶桑が微笑みを浮かべた。
長く黒い髪が、流水のように緩やかに動く。
それを見ていると、不思議と胸が騒ぐ。
抱き締めて放したくないという思いが込み上げてきた。
その思いも抑え込んだ。
ただ、頼むとだけ答えた。

南方海域で深海棲艦の大艦隊が動いているという知らせが入ったのは、翌日すぐのことだった。


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